2009年5月18日 (月)

『 墨俣城 』

ボンド,ベトン・ボンド。
5月14日(木)の出来事です。
日本建築総合試験所から一通の連絡が!

どうやら,我々が取組んでいたプロジェクトM “Beyond 80” への一環である 「80N/㎜2 の高強度コンクリート生コン単独申請」 が,材料性能評価委員会を無事通過した模様です。

連絡内容によると,申請図書に最終の修正箇所はあるものの,完成図書を提出したのち,国土交通省の諸手続きを経て,認定書が公布されるとのことでした。
最近の傾向では,認定書の発行は,国土交通省に申請図書が提出された約2ヶ月後程度の時間を要している模様です。
つまり,現在は,認定書の発行を待っている状態です。

私たちは, 2年前の 2007年夏に実機実験を開始しました。
また私たちは,この実験をグループの理念通り,全員で取り組んできました。

Beyono801 Beyond802  

  

 

 

 

 

 

60N/㎜2 を超えてもポンプが容易なコンクリートを目指したこの実験は特殊であり,大げさに言えば,生コン単独取得は “前人未踏” の範疇でしたから,グループ力が試された課題であったように思います。

Beyond803  

 

 

 

 

 

 

模擬体作製等の実験を推進し技術図書の整備等を手がけた技術課の方々,その元で製造出荷をリードするとともに,残コン処理をした業務課の方々,運搬を担当したアジテータの運転手,ネバネバの生コンを圧送してくれた株式会社泉北近圧ポンプの方々,そしてなにより,朝から晩遅くまでコア採取を担当した貴方に大変感謝しています。

Beyond804 Beyond805

   

 

 

 

 

  

 

ところで認定書を受け取ったら, “Beyond 80” は完了なのでしょうか?
残念ながら !? ,そうではありません。

『新大阪駅から新幹線に乗って東京に行く』 を例にとって “Beyond 80”  を説明しましょう。

終着  “東京駅”  は,大手ゼネコンの物件への 100N/㎜2 を超える高強度コンの出荷です。
途中の “品川駅”  は,大手ゼネコンと共同で 100N/㎜2 を超える高強度コンの大臣認定を取得することです。
その途中の  “名古屋駅”  は,アストロン使用高強度コンの大臣認定生コン単独取得です。
そしてそのまた途中の  “京都駅”  が, 80N/㎜2 の大臣認定生コン単独取得です。

分かりますか?
私たちの  “Beyond 80”  は,新大阪をスタートして僅か30分程度の位置なのです。

皆さん, “ 墨俣城(すのまたじょう) ” をご存知ですか?
またの名を,墨俣一夜城 とよばれています。

織田信長が,美濃の国を攻略した際,その 橋頭堡(きょうとうほ) が必要とされ,築城したお城です。
織田信長は,築城を敵国である美濃の国の “墨俣” の地に決定しましたが,その場所が敵国内であるが故になかなかお城が築城できません。

織田家の名だたる家臣が,築城に挑戦しますがその都度,攻撃に合い失敗に終わります。
そして,大阪城でおなじみの秀吉が挑戦し,一夜にして築城したのがこの “墨俣城” です。

一夜で築城したことは,どうやら逸話のようですが,短期間で築城されたとすると,現在のプレハブ建築のような工法で築城されたお城といえます。
当時,織田信長の敵であった斉藤竜興の侍たちは,ごく短期間でお城が建てられたことに非常に驚き,結局,織田信長に降伏します。
このお城,完成時には外見だけでお城の内装は全くできていなかったようです。
つまり,戦略上から外見の完成を急いだお城で,内装などはゆっくり仕上げたようです。

私たちの “生コン単独大臣認定 80N/㎜2 ”  はこの墨俣城に似ています。
織田信長は,美濃の国を手中にした後, “天下布武” とのスローガンを掲げ,歴史のその名前を深く刻み,信長亡き後,秀吉は天下を統一しました。

東京駅に終着するための橋頭堡は,完成しつつあります。
あとは,ゆっくり時間をかけて内装 (生コン工場内の体制創り) を強固に,そして美しく仕上げなければなりません。

200905181

 

 

 

   私たちの “墨俣城” を大事にしていきましょう。

       打倒新型インフルエンザ!!
                by ベトン・ボンド

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